スピンホール効果とは電場を試料にかけるとスピン流がそれに垂直に誘起される効果である。2003年に世界で初めて、不純物散乱によらずにスピンホール効果が現れることを理論的に予言した(S.Murakami, N.Nagaosa, S.-C.Zhang, Science 301,1348(2003))。この効果は運動量空間のベリー曲率、によって起こるため、電子の波動性の帰結であると言える。この効果は磁場や磁性体を使わずにスピン流を半導体中に作り出せて、しかも室温でも十分に強いと考えられるため、半導体スピントロニクスへの応用の可能性も秘めていて盛んに研究されている。その後このスピンホール効果の理論的予言に端を発して、今までに実験的報告十数件を含む600編以上の論文が発表されている。

解説記事: 
村上 修一:日本物理学会誌vol. 62, No.1, p. 2 (2007) 「スピンホール効果とスピントロニクス」
村上 修一、平原 徹、松田 巌:日本物理学会誌 vol.65, 840 (2010) 「トポロジカル絶縁体の物理」
村上 修一:固体物理vol.45, No,9, 477 (2010) 「トポロジカル絶縁体とディラックコーン」

これに関して最近は次のような研究を行っている。

 

1.トポロジカル絶縁体

トポロジカル絶縁体(量子スピンホール系)は、バルクでは非磁性バンド絶縁体でありながらエッジ状態がフェルミエネルギー上にありスピン流を運ぶものである。量子スピンホール系はいわば、量子ホール系のスピン版である。エッジ状態は量子ホール系と同様、トポロジカルに保護されており、非磁性の不純物等があっても壊れない性質を持っていると理論的に予言されている。単純に考えると、磁性や超伝導等の秩序が起きていない絶縁体は、いわば特徴のない、あまり面白みのない研究対象と考えられてきたが、量子スピンホール系は、まさにそうした物質群のなかにも隠れた秩序(トポロジカル秩序)があることを示している。これはバルクでのトポロジカル数で特徴づけられるが、バルクではこうしたトポロジーは隠れており、試料に境界を作ってはじめてこのトポロジーがエッジ状態としてあらわになる。

3次元の量子スピンホール系に関しては、バルクのトポロジカルナンバーの計算により任意の方向の表面における表面状態のトポロジカルな性質が分かる。ここで扱う表面状態はトポロジー起源の表面状態である。即ち、バルクでの波動関数が非自明なトポロジー構造を持っているが、その性質はバルクよりむしろ表面に顕著に現れて、表面状態として出てくる。そのためこうした状態は不純物や境界のラフネスにかかわらず、安定に存在するという特異な性質を持つ。
このトポロジカル絶縁体について以下のような研究を行っている。

 

(1) エッジ状態・表面状態の物性、輸送特性
2次元トポロジカル絶縁体のエッジ状態は非磁性不純物等があっても弾性散乱をうけないという特異な性質を有している。これは輸送現象に特異に効いてくると考えられ、特に熱電輸送に関しては有利に働くことが期待される。なぜなら不純物を入れることにより、フォノンの熱伝導を抑えつつ電子の伝導を阻害しないということが、2次元トポロジカル絶縁体において可能と期待されるからである。この2次元トポロジカル絶縁体での熱電輸送について、エッジ状態とバルク状態の輸送が競合することや、低温にするとエッジ状態の伝導が優勢になることを理論的に提唱した。
また、3次元トポロジカル絶縁体に関しても、結晶の転位には1次元的な金属状態(ギャップレス状態)が伴う場合があると言われているため、これによる熱電輸送についても研究を行い、転位密度の増加に伴い熱電変換性能指数が上昇することを提唱した。


(2) トポロジカル絶縁体の物質探索
この系を実現する物質探索を進めており、2次元の2原子層ビスマスについてトポロジカルナンバーを計算することにより、ビスマス薄膜が量子スピンホール系の候補となりうるという主張を行った(S. Murakami, Phys. Rev. Lett. 97, 236805 (2006))。現在も理論の立場から物質探索を進めている。量子ホール系と異なり、量子スピンホール系は(a)磁場が必要でない(量子ホール系は強磁場が必要)、(b)3次元でも現実の物質として存在しうる可能性が大きい(これに対して、磁場中の3次元系では磁場方向の運動についてはギャップが開きにくく、量子ホール系を実現するのはハードルが高い)という2つの特長があり、物質探索は興味深い問題である。

(3) 特異な電場・磁場応答
トポロジカル絶縁体では電流とスピンが結合しており、電流がスピン偏極を引き起こすなどの興味深い現象が期待される。こうした特異な応答現象について研究を行っている。

 

 

2.光のホール効果

スピンホール効果に対応する現象が光にもあることを予言し、「光のホール効果」と名付けた(M. Onoda, S. Murakami and N. Nagaosa, Phys. Rev. Lett.93,083901 (2004))。これはスピンホール効果と同様にベリー位相によって起こる効果で、電子および光の、波としての性質を利用している。光は電子と異なり、通る経路を直接確認できる。例えば異種媒質の界面での屈折・反射では光が横ずれ(Imbert shift)を起こすが、これはこの光のスピンホール効果によるものと解釈できる。実際この効果は最近精密に測定された(O.Hosten, P. Kwiat, Science (2008))。
また結晶中の電子と同様に、光の場合も周期構造を作る、すなわちフォトニック結晶にすることでこの効果が何桁も増大することを理論的に示した。この実験による観測はまだなされていない。

 

3.マグノンのホール効果と軌道運動

強磁性絶縁体ではスピン波(マグノン)が低エネルギーの励起となり、磁性体中を伝搬することになる。これについてはパイロクロアの結晶構造をもつ物質において理論・実験での研究(Y. Onose, T. Ideue, H. Katsura, N.Nagaosa, Y. Tokura, Science 329, 297 (2010)) があるが、我々はこうしたベリー位相の効果によりマグノンの波束がどのような運動をするかについて研究を行っている。磁性体によってはマグノンのコヒーレンスが長距離にわたって保持されるものがあり、こうした磁性体でのマグノン波束の運動は直接観測できると期待される。